2023年4月、2,328票でさいたま市議会議員選挙に落選しました。

落選の瞬間、頭の中が真っ白になりました。目の前の景色から色が消え、周囲の音がすっと遠ざかっていく。 あの瞬間、私は息をすることすら忘れていました。
「自分の思いは届いているはずだ」
恥ずかしいことに、私はそう思い上がっていました。

だからこそ、突きつけられた厳しい現実をどうしても飲み込むことができませんでした。この結果を前に、ただ呆然とするしかありませんでした。
そして、何よりも私を打ちのめしたのは、私を信じ、大切な一票を託してくださった2,327人の方々の存在です。
皆様の温かい期待を、私の力不足で無駄にし、裏切ってしまった。
「申し訳ない」「合わせる顔がない」 という気持ちで胸の奥がギュッと締め付けられ、情けなさと悔しさで涙すら出ませんでした。

敗戦分析。なぜ落ちたのか。

前回の選挙では、政策を考えることに一生懸命でした。「岩槻をこうしたい」「こんなまちづくりが必要だ」と、自分の考えを伝えることに必死でした。

しかし、今振り返ると、大切なことを後回しにしていました。

それは、「この人なら任せてみよう」と思っていただくことです。

政治家として何をしたいのかを語る前に、

おだて ゆうへいとはどんな人間なのか?」「この人に岩槻の未来を任せて大丈夫なのか?」

そこを知っていただく努力が、私には足りませんでした。

地域を歩き、一人ひとりの話を聞き、何度も言葉を交わす。そうした積み重ねを十分にしないまま、私は「政策を実現したい」と言っていました。順番を間違えていたのだと思います。

あの選挙で私に足りなかったのは、政策以前に、地域の皆様から信頼していただくための積み重ねでした。それが、前回の選挙で私が学んだことです。

選挙で落ちた人は、こんなふうになる。

「選挙に落ちたらただの人」とよく言われますが、当時の私はただの人どころか「みじめな人」でした。街で支援者の方を見かけても、不甲斐ない結果に終わった申し訳なさから、挨拶一つできず思わず身を隠してしまう。政治活動に全てをつぎ込んでいたため生活資金も残りわずかでした。減っていく通帳の残高を見るたびに、落選した現実を突きつけられ、ただ下を向いて歩くことしかできませんでした。

まずは、生きるために必死に働く。

「岩槻を変える」と大きな理想を語っていたくせに、自分の足元すらおぼつかない。格好をつけている余裕など一切なく、私は明日の生活のために、再び一人の会社員として必死に働き始めました。

建設コンサルタントとして就職し、全国の現場を回らせていただきました。予算不足や人口減少という厳しい現実にぶつかっている地域では、必要な施設も財源がなければ実現できません。地域のニーズに応えるために「どうすれば実現できるのか」を考え抜く大変さを地域の最前線で学びました。

岩槻で家庭をもち、見える景色が変わりました。

落選から3年が経った今春、私は結婚し、夫婦で岩槻に家を借りました。一人の生活者として家庭をもつことで、見える景色がガラリと変わりました。

自宅からスーパーや病院への移動に悩むご高齢の方、子育てと仕事の両立させたくても、学童保育が見つからない、子供が熱を出した時、会社を休まなければならないなど、苦労する同世代の姿を、自分のこととして見るようになりました。

道を歩き、買い物をし、地域の方と話す中で、制度の隙間に落ちて取り残されている人たちの痛みが、ようやく本当の意味で自分のこととして胸に刺さりました。

今は、まず声を聞く。現場を見る。そして、どうすれば実現できるのかを考える。

「仕方がない」で終わらせず、選択肢を一つでも増やしていく。一人ひとりの「困った」や「もっとこうなったら」を拾い上げ、実務の力で形に変えていきたい、と強く感じるようになりました。

続きはこちら:「次の挑戦に向けて」

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